監査も取締役会もある。それでも、なぜガバナンスは機能しなくなるのか

再現性が企業の強さをつくることを示すビジネス基盤とオペレーションの概念図

問題は、仕組みが「あるか」ではなく、権力に対して本当に機能できるか。

企業の不正が明らかになるたびに、再発防止策として、似た言葉が並びます。

  • 内部統制を強化する
  • 監査機能を強化する
  • 取締役会の監督機能を高める
  • 内部通報制度を見直す

もちろん、どれも必要です。

しかし、私はいつも一つの疑問を持ちます。

問題が起きた会社には、それらの仕組みが本当になかったのでしょうか。

ニデックでは、グループ内の多岐にわたる拠点で、費用計上の回避や収益の過大計上など、多数の会計不正が認定されました。第三者委員会は、その根本原因として「過度な業績プレッシャー等」を指摘しています。

一方、AIスタートアップのオルツでは、新規上場申請書類に記載された虚偽の内容が、上場前の複数年度における売上高の大部分に関わる重大なものだったとして、東京証券取引所が上場廃止を決定しました。

一方は、長く成長してきた大企業です。
一方は、急速な成長を目指したスタートアップです。

会社の規模も、歴史も、成長段階も違います。

それでも、同じ問いが残ります。

なぜ、監査も、取締役会も、内部統制もある組織で、
問題を見つけ、言い、止める機能が働かなくなるのでしょうか。

「制度が足りなかった」と考えるだけでは、この問いには答えられません。

ガバナンスの仕組みをつくるのも人です。
監査するのも人です。
監督されるのも人です。

人は、自分の立場を守ります。
評価を下げたくないと思います。
自分の判断が間違っていたとは認めたくありません。
成功してきたやり方を簡単には疑いません。
強い権力を持つ人と、わざわざ対立したいとも思いません。

だから、経営ガバナンスを考えるとき、人間の欲や恐れ、自己保身、成功体験、権力との関係を外すことはできないと思います。

問題は、仕組みが「あるか」ではありません。
その仕組みが、権力に対して本当に機能できるか。


1. ガバナンス不全とは、「牽制する機能」が働かなくなること

監査部門がある。

社外取締役がいる。

内部通報制度もある。

それでも、ガバナンスが機能しているとは限りません。

見つけられない。

見つけても、言えない。

言っても、止められない。

このどこかが切れれば、牽制機能は働きません。

監査部門が問題を把握しても、必要な人に届かなければ意味がありません。

取締役会に情報が上がっても、経営トップの判断に異議を唱えられなければ、十分な監督にはなりません。

内部通報制度があっても、「通報したら自分がどうなるか」と考えて誰も使わなければ、制度は存在しているだけです。

だから、見るべきなのは制度の数ではありません。

問題を見つけられるか。
それを言えるか。
そして、必要なら本当に止めたり、判断を変えたりできるか。

ガバナンスの実効性は、そこに表れます。

では、なぜ、それができなくなるのでしょうか。


2. 最初に起きるのは、「NOを言う方が損をする」こと

外から見れば、

「おかしいと思ったなら、なぜ言わなかったのか」

と思います。

しかし、組織の中にいる人にとっては、それほど単純ではありません。

「この数字はおかしい」と言えば、上司と対立するかもしれない。

「この目標は現実的ではない」と言えば、「できない理由を探している」と評価されるかもしれない。

「この判断は間違っている」と言えば、その判断をした経営者本人に異議を唱えることになります。

監査部門が深く踏み込めば、「事業を理解していない」「現場の邪魔をしている」と言われるかもしれません。

一方で、

「分かりました」

「何とかします」

「大きな問題ではありません」

と言えば、その場は収まります。

NOを言うコストが、YESと言うコストより高くなる。

そうなれば、黙ることは本人にとって合理的な選択になります。

ここを、「社員に勇気がない」「監査が弱い」「忖度する人が悪い」と片づけても、何も変わりません。

問うべきなのは、正しいことを言う人が損をし、権力に合わせる人の方が生きやすい構造になっていないかということです。

人に勇気を求めるだけのガバナンスは、長くは機能しません。人は、自分の生活も、評価も、キャリアも守ろうとするからです。


3. 「御意御意文化」は、組織が自分でつくり、自分で再生産する

「御意御意文化」というと、強い経営者が周囲に服従を強制している姿を想像しがちです。

しかし、トップが「私に反対するな」と命令しなくても、そうした文化はできます。

組織の人は、見ています。

  • 誰が評価されたのか
  • 誰が昇進したのか
  • 誰がトップの近くに残ったのか
  • 誰が異論を言い、その後どうなったのか

トップの意向を先回りして実現する人が評価される。

異論を言う人は「扱いにくい人」と見られる。

違う考えを持つ人が辞めていく。

残った人たちが、次の管理職を選ぶ。

その管理職が、また自分と似た人を選ぶ。

これが繰り返されると、組織は学習します。

「この会社では、何を言う人が生き残るのか」

やがて、トップ自身が何も言わなくても、周囲が先回りするようになります。

経営者が聞きたい数字を出す。

経営者が望む説明をつくる。

異論になる情報は、上に届く前に薄める。

こうして、組織自身が「御意御意文化」を再生産していきます。

これは、個人の性格の問題だけではありません。人事、評価、昇進、配置という日々の人材判断が、どのような人を組織に残してきたかという結果でもあります。


4. 成功体験は、牽制する力まで弱くする

特に難しいのは、長く成功してきた経営者がいる会社です。

会社を大きくした。

危機を乗り越えた。

周囲が反対した事業を成功させた。

そうした実績があれば、

「あの人には、自分たちには見えていないものが見えている」

と周囲が考えるのは自然です。

過去にトップに反対した人がいても、結果としてトップの判断が正しかった経験が何度もあれば、

「今回も、きっとそうだ」

と思うようになります。

これは、単なる恐怖による服従ではありません。

成功した人に対する、合理的にも見える信頼です。

しかし、その信頼が強くなりすぎると、本来は経営者の判断を検証するはずだった人たちまで、

「この判断は本当に正しいのか」

ではなく、
「この判断をどう実現するか」

を考えるようになります。

取締役会も、監査も、経営会議も存在している。

しかし、誰もトップの前提そのものを問い直さない。

そこで、牽制機能は形だけになっていきます。

ニデックの第三者委員会が、多数の会計不正とともに、根本原因として「過度な業績プレッシャー等」を指摘したことは、制度の存在だけでは説明できない問題を考えさせます。

強い経営が会社を成長させる力と、強い経営を牽制する力を、どう両立させるのか。

これは、成熟した大企業にとっても避けられない問いです。


5. スタートアップでは、「未来を信じる力」が現実を覆うことがある

スタートアップには、大企業とは違う力が働きます。

まだ実現していない未来を語らなければ、人も資金も集まりません。

「この市場は大きくなる」

「この技術が社会を変える」

「私たちはここまで成長できる」

未来を信じる力は、スタートアップには必要です。

しかし、未来への期待が強くなりすぎると、「こうなるはずだ」という未来と、「今、実際にどうなっているか」という事実の境界が曖昧になる危険もあります。

計画に届かなかった。

しかし、次は届くはずだ。

数字が足りない。

しかし、いずれ実態が追いつく。

今ここで成長が止まったと認めれば、資金も、人も、評価も失うかもしれない。

そうした状況で、未来への確信が、現在の事実を見る力より強くなることがあります。

オルツの問題は、その極端な事例の一つです。

もちろん、ニデックとオルツの事案を同じものとして扱うことはできません。

しかし、ここから共通して考えられることがあります。

大企業には、
「これまで、このやり方で成功してきた」
という過去の物語がある。

スタートアップには、
「これから、この会社は成功する」
という未来の物語がある。

方向は違います。

しかし、どちらの場合も、物語が事実より強くなったとき、事実を返す人や仕組みが機能しにくくなる可能性があります。

だからこそ、成長を信じる力と、現実を直視する力は、同時に必要なのだと思います。


6. 松下幸之助も、「私欲私心」を他人の問題にはしなかった

松下幸之助の肉声講話に、「私欲私心が会社を潰す」というものがあります。

1976年の講話で、松下幸之助は自身の経営経験をもとに、人が失敗する理由について語り、終盤では自らの葛藤にも触れています。

ここで私が重要だと思うのは、

「松下幸之助ほどの経営者だから、私心がなかった」

という話ではありません。

むしろ逆です。

人間には私心がある。
自分にもある。
だから、それと向き合わなければならない。

ということではないでしょうか。

経営者には、

  • 自分の判断が正しかったと思いたい
  • 自分がつくった会社を成功させたい
  • 自分の実績を守りたい

部下には、

  • 評価されたい
  • 失敗したくない
  • 上司と対立したくない

監査する人にも、

「自分だけが問題を大きくした人になりたくない」

という思いが生まれることがあります。

こうした感情をすべてなくすことはできません。

「会社のため」と言いながら、その判断の中に、自分を守りたい気持ちが混ざることもあります。

だから危険なのは、「私心を持つこと」そのものより、自分の判断に私心が入っている可能性を、誰も問い直せなくなることなのではないかと思います。

「私心のない立派な経営者」を前提に、ガバナンスをつくることはできません。

経営者にも、取締役にも、監査する人にも、現場の社員にも私心がある。

その前提に立って、一人の判断や一つの権力だけで、組織の現実が決まらないようにする。そこに、ガバナンスの意味があるのだと思います。

松下幸之助の肉声講話

「私欲私心が会社を潰す」

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7. 「見えない」のではなく、「見ない方が都合がいい」ことがある

問題は、すべて意図的な隠蔽から始まるわけではありません。

むしろ、その前にもっと人間的な段階があります。

問題を深く調べれば、本当に問題だと分かってしまう。

分かれば、誰かに報告しなければならない。

報告すれば、自分も対応しなければならない。

上司と対立するかもしれない。

自分の責任も問われるかもしれない。

だから、

「そこまで大きな問題ではない」

「今回は特殊なケースだ」

「次には改善するだろう」

と考える。

そして、それ以上見ない。

これは、悪意だけでは説明できません。

人は、自分にとって都合の悪い現実を、都合よく解釈することがあります。

経営者だけではありません。

現場も、管理職も、監査する側も同じです。

見えないから言えないのではなく、言えないから見なくなることもある。

言えない。

だから深く見ない。

見ないから問題は大きくなる。

問題が大きくなったときには、周囲もすでに同じ方向を向いていて、誰か一人が気づいても止められない。

見えない。言えない。止められない。
これは別々の問題ではなく、循環している。


8. ガバナンスとは、人を信じない仕組みではない

ガバナンスを強化するというと、人を監視し、ルールを増やし、自由を奪うように聞こえることがあります。

しかし、私は逆だと思います。

ガバナンスが必要なのは、人が悪いからではありません。

人は、自分を守る。

成功を信じる。

権威に影響される。

自分に都合のよい現実を見たくなる。

そして、誰もが常に自分の判断の理由を自覚しているわけではありません。

その人間の性質を前提に、それでも組織として事実に戻れるようにする。

それが、ガバナンスではないでしょうか。

そのためには、監査部門を置くだけでは足りません。

  • 独立して事実を取りに行けるか
  • 経営トップとは違う情報経路を持てるか
  • NOを言った人が不利益を受けないか
  • 異論を言う人が組織から排除されていないか
  • 監督する側が、監督される側に人事や評価で過度に依存していないか
  • 最も強い権力を持つ人の判断も、本当に検証の対象にできるか

ガバナンスの本質は、組織図ではなく、こうした場面に表れると思います。


9. 一番危険なのは、「自分たちは大丈夫」と思うこと

大きな上場企業にも、不正は起きます。

急成長するスタートアップにも起きます。

そして、松下幸之助ほどの経営者も、「私欲私心」を自らの問題として考えていました。

だから、

  • 「うちには監査部門がある」
  • 「社外取締役もいる」
  • 「内部通報制度もある」
  • 「うちの経営者は、不正をするような人ではない」

ということは、ガバナンスが機能している証明にはなりません。

問うべきなのは、もっと生々しいことです。

経営者が間違ったとき、誰がNOと言えるのか。

その人は、本当にNOと言っても組織に残れるのか。

経営にとって都合の悪い事実は、加工されずに届くのか。

トップの成功体験や強い確信を、別の立場から検証できるのか。

問題を指摘したとき、実際に判断を止め、変えることができるのか。

ガバナンスは、制度の数では測れません。

権力に対して事実を返し、異議を唱え、必要なら判断を変えられるか。

その機能が、本当に生きているかどうかです。

そして、その機能が必要なのは、人間が悪いからではありません。

人は誰でも、私心を持ち、自分を守り、自分が信じたいものを見ようとする可能性があるからです。

問題は、私心をなくせるかではありません。

私心や権力が一つの方向に組織を動かそうとしたとき、それを問い直せる力が残っているか。

経営ガバナンスで、本当に問うべきなのは、そこだと思います。

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